【我流は素
「我流でやってきちゃったんで、、」
とかよく聞くけれど
我流の何がいけないのだろうか?
我流はダメと誰が決めた?
その人の個性をいきなり全否定じゃね?
むしろ最上級のオリジナルじゃないか!
歌なら歌で
はるか昔、
世界のどこかで誰かが最初に
歌い始めちゃったわけじゃん?
我々、唄い人の大大大大大っっっ先輩だ
じゃあ
その人に基礎があったか?
ないよね
超超超超超っっっっ我流だ
超ウルトラスーパーミラクル我流イノベーターだ
つまり、我流を否定するということは
歌ってる自分の大大大先輩を否定することになる
そして
「基礎が大事」という言葉を
なんの疑いもなく信じている人はちょっと危ない
なぜなら
そこに何の哲学もなかったとしても
「これが基礎です」と言われれば
それを鵜呑みにしてしまうからだ
盲信ってやつだ
だから、
そういう人に限っていろいろ仕入れたノウハウがごちゃまぜで頭がいっぱいになって身動きがとれなくなったりする
別で仕入れた基礎と基礎が真っ向から違ってたりして矛盾に苦しんだりもする
しまいにゃぁ
「我流はダメ」という言葉までも
鵜呑みにしてしまうだろう
それじゃうまくなるわけがない
答えを外側に求めてる時点で終わっている
個性の濃度が0%だ
講師の側でも同じことが言える
自分の価値観や哲学なしにただ講師研修を鵜呑みに学んで、生徒さんに教えたりする講師が世の中にはたくさんいる
教えてる本人が
なぜそう教えてるのか?
という理由が
「そう教えろと教わったから」
では話にならない
例:講師自身がひたすらボイトレ教わってやってきたもんだから
やる必要のない生徒さんにボイトレやらせる
私はそういう意味では思いっ切り我流でやってきた
基礎が大事かどうか?
とかいう思考回路が働く前に
センス磨いたほうがぜってー早えーじゃん!
ってシンプルに思ったからだ
なぜなら
この世の中で
センスを感じないものは
信じられないからだ
どんな経歴も理論も努力も時間も
センスの前では霞むからだ
唯一、師匠と呼んでいる方(世話になったLAの教会のマザーでありゴスペルシンガー)からも手取り足取り教わったことはない
イキナリ目の前でブワーッと歌って
こんなイメージで明日までにやってこい!
とか
本番中に予告なくマイク渡してきてアレ歌え!(アレってなんだよ!)
みたいなw
*与える人になること
*躊躇した瞬間、チャンスはぜんぶ過去のものになる
主に師匠から学んだのはそんなかんじ
*センスを磨くこと
これはわかっていたので確認作業だった
歌の技術はとにかくバックコーラスやりながら背中を見て片っ端から盗みまくった
もちろん
基礎と呼ばれているものは
すでにいろいろ失敗をしてきた人が取捨選択してきた方法論だから、それやっとけばとりあえず話は早い
ただ、大事なのは
なぜそうなったのか?
ということ
ただね、
私は常々
センスを磨く作業というのは
イワユル基礎と言われてるものをやる前の“本当の基礎”をやることだと思っている
つまり
自分の魂で感じることだ
結論として
我流でも素敵ならOKだし
基礎をしっかりやってきても
ダメなものはダメ
「基礎が大事」と言われてるからといって、それを盲信するのではなく
どうしてそうなったのか?
はたしてそれでいいのか?
と自問自答をして練習すること
常識を疑える気持ちを持つこと
それができるなら
基礎はやってもやらなくても
もっと大事なことに気付けてるのでOKなのだ
さらに付け加えるなら
「基礎は大事、というか使える。でもみんなに当てはまるわけでは無いし、たまに間違ってる場合もあるから注意!」
って感じかな
そもそも
基礎自体が人間の作ったものだから完璧なわけがないよね
ってこと
んじゃまた
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