高校生のときから、毎月大阪から横浜までブラックミュージックを学びたくて通っているharuさんという生徒さんがいます。
今年、彼女は高校を卒業し念願のアメリカへ一人旅に出かけてきました。
ずっと夢見てたアメリカに降り立った喜びと、人一倍の行動力で切り拓いていく様をみんなにシェアしたいと思い、本人に日記にしてもらいました。
是非読んでみてください。
忘れていた景色を思い出せるかもしれません。
*本人の言葉を大切にしたくて、編集はしていません*
「アメリカ日記」
今年の春に20日間だけアメリカのロサンゼルスに行ってきました。毎日が刺激とインスピレーションで溢れていたので文章にまとめることがすごく難しいですが、特に濃かった私のLAハイライトを少し書こうと思います。
自分がアメリカに行きたいと言い出したのは9歳の頃だったので、もう心の準備は十分にできていた。行きたい行きたいといってよく泣いていたことを思い出した。アメリカに行く日をいつも想像してずっと待ち続けていて、たくさんの気持ちや感情を思い出していた。空港までの車ではもちろんウェッサイヒップホップを聞いていた。空港でうれしすぎて泣いていた。
飛行機の中でstraight outta compton(Compton,LAが舞台のN.W.A.というグループの映画)をみて、明日には自分がここにいるんだって考えてまたうれしくて涙がでてきた。too good to be truthで泣くことしかできなかった。
私が泊まっていたのはハリウッドだったのでLAX(空港)についてからFly Away(バス)にのってハリウッドまでいった。ハリウッドについてからら、これから自分が泊まるところまでいくのにgoogle mapを開いたら自分の現在地がLos Angelesになっていて信じれなくて夢の感じだった。いまでも思い出したら血圧があがる。
だれかからメールが届いていたので開けると、あの有名なThe Game(ラッパー)のおじさんからだった。LAのいろんなhoodsに連れてってくれるプログラム的なのに初日に行くことにしていて、そのことについてだった。”see you friday at hollywood blvd. westside!” えっ集合場所ハリウッドやばい。夢なんかな。
朝起きて、自分がいまLAってことを思い出した瞬間いままで持ったことない幸せの感情が込み上げてきた。LAについて1日目は、20日間の中で唯一unpreparedな自分が予定を前もって組んでいた日だった。いままで自分がMVや映画でみてたいつも聞いてるラッパーたちが生まれ育ったゲットーにいく日で、もう現実味が本当になかった。まずどこのだれがLAにきて初日にhoodsにいくねんって感じだったけど(しかも女の子ひとりで)すごく自分らしくていままで日本で孤独にたった一人で追求してきた文化と知識の元祖というか、本場にやっといけるとおもうと本当に幸せでしかなかった。
The Gameのおじさんが車を運転してくれて、ウェッサイヒップホップが爆音でガンガンのなかLAで最も危険なエリアとよばれるSouth Central LAをまわった。the gameのおじさんに自分が歌をしたくてアメリカに来たということを伝えて、音楽ビジネスのことを少しだけ話してくれた。ついに自分が一番楽しみにしていたCity of Compton(コンプトン)についた。Kendrick Lamar, Ice cube, やDJ quickなどたくさんのLA出身のラッパーたちが育った家や通っていた学校などを目にすることができた。そこで想像もしてなかったことが起こった。Eazy E(ラッパー)の息子にあった。彼自身はあまり有名ではないけど自分がeazyの音楽をいつも聞いてるのですごく嬉しかった。それにあの有名なイージーの息子なので本当に夢かと思った。I singって言ったらインスタでフォローしてくれた。これが私のLAで作った一番最初のコネだった。
別の日には、つい最近なくなったLAのラッパーNipsey Hussleの出身地crenshawに行き、Nipseyが打たれたNipsey自身のショップまで行った。私がNipseyを好きな理由は、ほかのラッパーたちが差別されることや警察からの扱われ方に文句をいいながら、ドラッグをすることをラップする中でNipseyは服を売ったりしているだけなのにまだ差別をされるということを語る人だから。殺されたという事実がすごく悲しい。crenshawでもたくさんの人が泣いていた。
hoodsではリアリティーを見た。
いままでずっと聞いていた音楽が何を語っていたのかを確認できた。よくわかった。これこそ私の見たかったアメリカだった。アメリカで音楽(とくにhiphop)の存在がどれだけ大きいのかよく知った。音楽で人々が争ったり、死んでしまったりする。そこに住む人たちにとってhiphopが生活の大きな一部だった。そんな人たちに囲まれていたのでいままでになく居心地がよかった。
つづく